2011年3月11日から2ヶ月経った5月半ば、社会を見ていて気になることをテーマに、
意識的にそ れまでの作風と異なるものに取り組んだ作品である。
震災被害の大きな痛手を追っていた当時、自分たちを奮い立たせるため、
とにかく復興しなくてはなら ないという脅迫観念に近い社会風潮が色濃くあった。
情報正誤の吟味もまだ不十分であるにも拘らず、
手当り次第に復興作業を進める社会を批判的に思いながらも共感もしており
不自然な熱気(ムード)を感覚的に理解できてしまうジレンマを、作品として出すことにした。
モチーフは原子力発電所で働く作業員たちである。
自身の健康を害すると分かっていながら原子力発電 所に黙って向かう彼らは、
全国民にとって間違いなく英雄だ。
けれども彼らをそこで働かせることは同時に
ただ自分の無責任さを示しているだけのような気がして仕方がなかった。
彼らの具体的な仕事内容は明瞭とせず、その働きが本当に未来のためになるのか、
私には分からないでいた。
どういう未来が本当に 望ましいのだろうか。
正義は立場の数だけ異なるものである。
震災直後の私たちは、何と戦い、どこに向 かおうとしていたのか。
原発作業員たちは確かに英雄であったが、私には愚かで滑稽にも思えた。
それは彼ら自身もまた果たす べき最終着地点に対して盲目になり、
ただ目先の光を探して無闇に自身の健康を害しているだけのように見えたからだと思う。
その姿から私は、特撮アニメの戦隊ヒーローを連想した。
彼らはひとつの正義を信 じて疑わず、身を粉にして戦い続ける。
ただしこの原発作業員のヒーローの場合、敵は何者なのか全く分 かっていない。
原発か、放射能か、政府か、原発建設に反対しきれなかった国民自身にあるのか。
敵はミクロでも、マクロでもあるようで、はっきりとした形は把握できないままだ。
確かなのはそれでも私たちは この現状を打破するために、何かしら戦わねばならないという虚しさだった。
原発作業員の簡素な防塵衣装を批判する意味も込めて、当時報道にあがった作業員の作業風景写真を参 考に再現し、
小物は100円均一店で材料を揃えて手作りした。
防塵スーツはインターネットで1着1000円 以下で購入でき、撮影中にちょっとした動作で破れてしまった。
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から