音採集 #1

「ようやく連なった途端に分解されて雪みたく溶けた」

2009

 岩波文庫 宮沢賢治著「風の又三郎」、瓶  

 

子どものころ、学校の図書室を一人でふらふらと歩いていると

本の中にある文字たちがそわそわと寄せ集まって役割を担い自分たちの出番はまだ来ぬのかと

本棚に肩を並べ、息を潜めて待っているいるような気がした。

誰かが本を開いた暁には、文字たちは喜び勇んで、今こそと言わんばかりに

踊りだし、きらきらと色んな物をまき散らして

新しい世界を見せてくれるような、そんな空想を繰り広げて

聞こえるはずのない文字の声に耳を傾けて次に読むべき本を探して遊んだ。

        

言葉には〈音〉と〈文字〉の二つの状態がある。 

〈音〉は得体が知れないと思う。 

触ることも出来なければ、目に見えることも無い。

人と人の間で拡散され、周囲にまき散らす。

特に言葉の持つ〈音〉は、掴み所無い、というか

 掴みたくても掴めない、それらはどこから来て、どこに消えていくのか。

儚く、時にはちょっとしたお喋りも音楽のように聞こえるが

しかし、単なる“音色”とも違い、そこに重みを持った何かがある。
考えれば考えるほどに 言葉のもつミステリアスな部分から逃れられない。


いま、手元にある本の言葉たちも、視線を落とせば〈文字〉の姿で踊ってみせ

そうかと思って音読するなら〈音〉の姿で本から浮きあがり、私の周りで跳ねて笑う。

本からきらきらと飛び出してくる文字たちを捕まえたかった。

どこかで見つけて来た昆虫を採集するように

瓶の中にある空間に、戯れ遊ぶ文字を閉じ込めてしまいたかった。

はぎ取られた文字は、活字の〈音〉の姿である。

 

文庫本にある文字と言う文字全てを、指でこすり取り瓶に詰めるこの作業は

本の言葉を、私のこの奇妙な儀式をすることによって

さらさらと音に変換し消していく風景(イメージ)を思って始めたことだったが

作業中は紙に這いつくばり、巨大な活字に立ち向かう蟻になったかのような気分で

私が音を消しているというより結局は私が文字に消されて行ってしまっているような

可笑しな矛盾を感じていた。