当たり前過ぎて忘れていたこと

2012

点滴、水差し、テーブル台、木、水、アンプ、ヘッドフォン、マイク

 

 きっかけは、ふと町中で、全ての振動が一斉に聞こえたらどんなリズムが世界に広がっているのだろうかと想像したことだった。

 2011年の大地震を経験してから振動に敏感になった。「地震か」と体を強ばらせて身構えていたら、自分の心臓で揺れていたということが何度かあった。自意識過剰な自分が可笑しいやら恥ずかしいやら一人で照れ笑いをしながら、また元の生活に戻る。そして「つまり、みんな生きてたんだな」と真面目にこの出来事を思い返して考察する。

 今まで一度も気が付かなかったのに、自分の震動に敏感になった。「揺れ」は地球も人も同じように生きている証拠なのだと気がついた。全ての人は震動している。その震動の音が一斉に聞こえてきたら一体どんな感じがするだろうか。周りにある全ての、規則正しく生きる震動を一斉に聴いてみたいと思った私は、それぞれの速度を守りながら、振動する複数の水滴音を使って、音を聴く装置を作ることにした。

 水滴音に近づけたマイクは周囲の外音も拾った。採取される音に特別な仕掛けは施さなかった。ありのままの音をヘッドフォンから流した。音は雨水が地面を打つようなものであろうと予想し、またその通りではあったのだが、水滴音とともに拾った外の音に妙なエコーがかかり、この装置はまた新しい「世界との向き合い方」を提示するという、発見があった。集音する光景を眺めながら、外音と水滴の落ちるかすかな音を耳元で聞く状態は、日常をどこか違うものに変えていた。更にそれは見る者であり聞く者(鑑賞者)を、半ば強制的に拘束し、ヘッドフォンの中に幽閉した。何気ない日常を改めて凝視させる装置として、機能していた。